由緒沿革

banner 当初は初代天皇 神武天皇の幼少時の少宮趾として伝えられ、「駒宮大明神縁起」によると、弘治2(1556)年6月には駒宮領二町、足洗田一町を御供田として有していた。

住吉は相当な大社であり、神宮寺という寺跡があり、神社の別当寺だったかもしれないが、安政元年の広渡川の氾濫で水没、また入田原に大馬場があって流鏑馬神事で賑わったという。

鵜戸神宮の縁起に関して「駒宮アリ。神武天皇ガ船釣リヲサレシ折、龍神カラ賜ッタ龍石」トイフ龍馬ヲ祀ル。天皇御幼少ノ時、吾平山(境内地)ニ住ミ給ヒケルガ、折々鵜戸の父君ノモトニ通ヒ給ヒシ時ノ『駒繁ノ松』(船繁の松)、草覆石、駒形石ナドノ古墳ガアル。」という。(日向国神祇史料)

また天皇が吾平山をあとに宮崎に向かわれる時、愛馬 龍石を草原に放たれたという『立石』(当神社より約四キロ北上、鵜戸方面)は、その後日本最古の牧場となり、藩政時代には牧奉行が置かれ、その駒追には必ず代表の馬を引き出し駒宮に参る風習から、例祭には近郷近在から着飾った多くの農耕馬が集まり賑わいを極め、『シャンシャン馬』もこれに始まり、シャンシャン馬踊りも農家の手により奉納されたという。

棟札によると元録の斎行は正保年間の炎上によるもので、その後宝永三(1706)年11月に拝殿、宝歴13(1763)年9月に造営が行われ、伊東藩からは神領三石のほか領主参拝の都度、銀二両が奉納されている。

明治維新に際し平山神社となったが、のち駒宮神社と改められた。明治40年2月に神饌幣帛料を共進すべき神社に指定された。

昭和九年の神武天皇御東遷2600年には少宮趾として全国奉賛会から顕彰され、本殿の修理と境内を拡張整備した。同15年の紀元2600年祭には、県奉祝会の顕彰と地元氏子崇敬者の浄財で本殿の修理をはじめ、祝詞殿、拝殿などの大改修を行い、壮厳さを加え現在に至る。

主な祭典

紀元祭 2月11日
祈年祭・豊作祈祷神楽・煮花神事 二月最終日曜
神武天皇際 4月3日
御神幸祭 10月最終日曜
例祭・新嘗祭 11月5日
天長祭 12月23日

古墳

  • 駒繁の松(船繁の松)
  • 草覆石・駒形石
  • 御鉾の窟跡

奉納行事

  • 大和神楽
  • 獅子舞

御神徳

  • 安産
  • 病気平癒
  • 交通安全
  • 厄除開運
  • 合格成就
  • 必勝
  • 海上安全大漁満足など
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